紀勢本線非電化時代
紀勢本線は、昭和53年10月に電化されますが、それ以前は紀勢本線は、和歌山操駅までは電化されているものの、それ以外の区間(和歌山市~亀山まで非電化線区で有り、気動車の天下でした。
以前は、キハ17やキハ45などが使われていましたが、関西本線が湊町~奈良間が電化がされると、それまで関西本線で使われていた、キハ35が余剰となり紀勢本線に大量のキハ35・36が流入してきました。
当時の時刻表を参照しますと、基本的に和歌山線は、和歌山駅発着、紀勢本線の列車は、和歌山市発着となっていました。
和歌山市発〇〇行き
さて、紀勢本線の非電化時代は現在のように30分単位での運転ではなく、普通列車は優等列車や貨物列車の合間を縫って走るといった感じで、時間はまちまちでした。
当時の時刻表を確認しますと、手元にある昭和50年の7月号を参照しますと、始発は、5時20分和歌山駅発の普通列車がありまして、これは客車列車と同じで宮前と黒江を通過する列車だったようです。そして、この列車が新宮行き、先ほどの二駅以外は各駅に停車して、新宮には11:50に到着だそうで、6時間半の長距離運行だったわけです。
和歌山市発は、6:30が最初であり、この列車は御坊行きでした。
他にも、客車列車では和歌山市発亀山行きという列車が走っており、和歌山市駅を7:03に出発して執着亀山には20:31・・・12時間半を費やして走る長距離列車が有りました。
当時はこのような長距離列車が数多く設定されており、旅客輸送をしながら荷物輸送も行うという事で、串本駅や新宮駅などで30分停車とかしているのが判ります。
当時の紀勢本線を見ると普通列車よりも特急・急行の本数が多いように感じます。
実際に、時刻表で時刻を確認しますと、概ね一時間に一本なのですが、12時台には発車がない反面、和歌山駅基準で見ると、16:00から18:00の時間帯では四本も運転されていて、バランスの悪さが目立ちます。
16:00から18:00は30分に一本運転
時間を見てみますと、和歌山駅基準で
- 16:00 周参見行き 338D
- 16:27 湯浅行き 340D
- 17:00 串本行き 342D
- 17:45 御坊行き 344D
時間はバラバラですが、このうちの二本の列車が周参見行きと串本行きという長距離普通列車であったわけで、かつキハ35・36で編成された列車だったのです。
下の写真は電化工事が始まっていますので1976年頃の写真だと思いますが、キハ35・36が編成に加わったのように見えます。なお、この先頭にはキハユニ16が連結されており、これは新聞輸送などを兼ねていたもので、急行きのくに11号の先頭に連結されて、天王寺を下ってくる列車で、和歌山駅で切り離し、和歌山市発の列車の先頭に連結、そのまま周参見まで走るもので、終点周参見には19:26着となっています。
先発する急行きのくに11号は椿行きなのですが、椿までの所要時間で比較すると、その時間差は50分ほどであり、以外と速い(きのくに11号が意外と遅い)ように感じます。
画像は、340Dを撮影したものです。
キハユニ15となっていましたが、記述誤りです、お詫びしてして訂正します。
キハユニ15 ×⇒キハユニ16 〇
先頭は、湘南顔の液体式気動車