blackcatこと鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 国鉄夜話

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タグ:特急つばめ

皆さまこんばんは、本日は昭和47年3月15日のダイヤ改正
新幹線岡山開業を見ていただこうと思います。
昭和39年の東海道新幹線開業から8年、岡山まで新幹線が開業しました。
山陽新幹線の特徴は、新大阪を境としてひかり号の種類を分けて、各駅停車タイプと速達タイプに分かれていました。
これは、東海道区間と比して、輸送需要は小さいからと考えられたからですが、1桁番号のひかり号が速達タイプで、新大阪~岡山間ノンストップ
2桁番号のひかりが号が、西明石・相生を通過するタイプ、3桁番号のひかり号が、岡山まで各駅停車タイプであり、こだま号は区間運転列車として早朝の新大阪発の送り込み編成だけしか設定されていませんでした。

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当時の新幹線岡山開業を告げるCM放送
 

これにより、大阪発着の昼行特急列車は、「しおじ」、「なは・日向」、「かもめ」、「みどり」、急行べっぷ1号・つくし1号」の他、東京発の長距離急行「高千穂・桜島」も残りました。
高千穂・桜島は、東海道線最後の昼行急行客車列車としての役割を担っており、東京10:00発大阪18:04着、亜終点西鹿児島は10:51(日豊本線経由は14:51)と各々24時間以上走る列車も残っていました。
さらに、夜行列車に関してもその殆どが大阪始発で残され、岡山始発となったのは、「つばめ」「はと」、「月光」の3種類となりました。
それでは、当時の時刻表から見ていただこうと思います。
昭和47年3月15日改正の時刻表を時系列的に並べてあります。
ただし、1番は夜行列車のみであったため省略させていただきました。

つばめ・はとは仲良く岡山発となり、山陽が補完列車としての役割を果たしています。
日向・なは、みどり等は、何れも大阪始発の特急列車として残っています。
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下関行き特急「しおじ」は全て大阪始発となっており、181系の他運用の都合で485系も使われていました。
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大阪始発西鹿児島行きの「急行屋久島」も運転されていました。
広島から夜行区間に入り西鹿児島には朝着く夜行列車としての使命を持っていました。
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夕刻の夜行列車タイムは、ブルートレインの乱舞であり、特急あかつき・彗星・明星・きりしま等に混じって急行列車「日南」等も運転されているのが見えます。
そう考えると当時の大阪駅は夕刻からは10分おきくらいに夜行列車(寝台列車)が旅立っていきました。
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1時過ぎに大阪駅に停車する「特急金星」までの時間は大阪駅はある意味鉄道ファンにしてみればゴールデンタイムと言えましょう。
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参考 昭和46年10月時刻改正 の時刻表を添付させていただきます。

「はと51号」が大阪始発になっています。
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昭和39年10月、皆さんご存知の通り新幹線開業ですが、この当時の時刻表はなかなか手に入らないので、昭和39年11月号と言うなんとも中途半端な時期の時刻表を手に入れました。
11月号も0系の表紙なんです。
私も知らなかったんですけど、特に光前頭初期タイプの様子がよくわかるのですが、中々前衛的な写真で個人的には面白い写真の撮り方だなぁと思っています。
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さて、早速ページを開いてみますと、新幹線とそれに接続する列車が一覧になっているのですが、1枚で終わってしまう新幹線の時刻表
朝6:00始発の「ひかり1号」 新大阪10:00着で30分の接続で「特急みどり」に乗車すると熊本21:35に到着でいるとのことで、新大阪から熊本まで約12時間かかった計算になりますね。
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さらに、主要幹線連絡を見ていただきますと、当時の新幹線に接続する優等列車他が一覧になってみることが出来るのですが、特急「つばめ・はと」が1時間10分ほどで続行運転しているのが非常に興味深いです。
ただ、不可解なのが同じ181系でありながら「はと」の方が「うt場目」よりも5分程度所要時間がかかるのは、「つばめ」の方が格上と言うことなのでしょうか?笑
まぁ、それは冗談ですが。
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東海道新幹線、1時間に最高13本走るということで285km/hで3分間隔で走るとういうのもちょっと信じがたいし、
キャプチャ
京都駅などでは、公後のホームを使って、発車すると反対側のホームに次の列車が到着するというなんとも緻密なダイヤが組まれており、40万席以上の座席が確保されていると言われていますが、今から50年前、新幹線が出来る前の東海道線と言うのはどうだったのでしょうか。

しばし、昔の時刻表を見ながら、しばし時間旅行をお楽しみいただこうと思います。
昭和38年10月の時刻表を皆様に見ていただこうと思います。
新幹線開業を1年後に控えた最後のダイヤ改正です。
懐かしい名前がずらっと・・・。

つばめ・はと・こだま・富士・ひびき・…等々
「ひびき」は、元々は日光用として製作された157系を使用した特急でこの頃では「特急ひびき用」として増備されています。
157系に関してはデビュー当初は赤色が準急色と言うことで関西線113系に使われた朱色が使われていましたが。ひびきの定期運用に入った頃から、特急標準色に塗り替えられてしまいました。
準急用としてのスタートでしたので食堂車がないなど供食設備には不備が残りましたが在来線としては華やかな時代であったと言えましょう。
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第1こだま・ひびきなどの名称が見える。
特急列車は言うに及ばず、急行列車もビュフェ(東海道線では寿司を販売)していたが、職人の補充が難しくて東海道線以外ではうどん・そばコーナーになりました。
当時は、食堂車が設備されていないのは準急列車だけであり、急行列車の1等車はリクライニングシート準急の1等車は特急の3等車と同等と言うように設備面で大きく差をつけていました。

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この時間になると、急行桜島鹿児島本線経由西鹿児島行きが東京駅を出発当時は不定期列車のためか食堂車も寝台車も連結は見送られています。東京~西鹿児島(現 鹿児島中央)まで約27時間の旅でした。

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次ページには、急行高千穂が同じく29時間の運転時間で西鹿児島迄日豊本線経由で運転されています、当時は高千穂が主流のようで、食堂車も連結されています。
ちょっと見にくいのですが、「特急第2つばめ」の5分後には「特急さくら」が出発、非常に豪華な共演だと言えそうです。

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19時台になると山陰・大阪方面行き急行列車が発車していきます。
急行出雲を皮切りに、伊勢・那智、はりま。能登(東海道・北陸線経由金沢行き)、安芸、銀河・・・と下って行く様は壮観だったと思いますね。

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国鉄があった時代 JNR-era

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本日は、昭和31年の東海道線時刻表をアップさせていただきます。
昭和31年12月の時刻改正号です。
この頃からすでに荷物専用列車が運行されていたことに驚かされます。

「特急つばめ」の10分前に「特急さくら」が運転されています。等級の表示が無いですが3等特急だったのでしょう。
当時は、特急こだまが誕生する前ですのが、「特急あさかぜ」は一般客車で蘇生された編成で運転されています。

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「特急つばめ・はと」は、編成ごと転換していたので、進行方向から数えて1号車・2号車・・・・となっていましたが、「特急あさかぜ」は編成ごとの方向転換をしなかったので、博多駅で進行方向から数えて1号車・2号車・・・・となるように、号車札を入れ替えていました。
特急あさかぜ・・・東京始発の場合は、荷物車が1号車ですが、博多発ではネC(マロネフ29)が1号車になるように号車札を入れ替えていました。


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10分前を走る「特急さくら」停車駅も特急つばめと全く同じです。

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