「からくに」という列車は、昭和37年2月15日のダイヤ改正で「火の山」と共に誕生した準急でした。
当時の時刻表を参照しますと、以下のようなダイヤとなっています。
出水を11:11と比較的遅い時間に出発して、宮崎に15:07着
出水行きは、宮崎を16:05に出発して、出水には20:12ですので、運転時間にすれば4時間程度ですが。
ここで疑問なのは、宮崎はわかるとして、何故出水発着なのか?ということですよね。
一般的な列車設定であれば西鹿児島もしくは当時であれば鹿児島発でも良かったはずですが・・・
ということで、ネットでいろいろ探していると、水俣にあるチッソ工場と旭化成を結ぶ列車だったという記事を見つけたのですが、どうもそれが正解のようですね。
チッソ(現在は事業部門はJNC株式会社)と旭化成は少なからず深い関係があったそうなので、その区間を利用する人たちのためにというのもありかもしれないですね。
余談ですが、1両だけの和歌山市発東京行き急行大和(王寺から和歌山市間は普通列車)も住友金属の出張のために設定されていたなんて言う話もありますので、どこまで本当か否かという話にもなりますが、興味深い話ではあります。
この列車は、設定当初から気動車なのですが、どのような編成だったのか。
また、どのような車両が使われていたのか残念ながら調査不足でわからないのですが、昭和41年にはキハ45と呼ばれる気動車で置き換えられたとありますから、本格的な急行形と呼ばれる車両ではなかったと思うのですが、なかなか興味は尽きません。
準急列車としては、1962年2月15日、1966年3月には、急行に格上げされ。
この不思議な列車は、1972年3月の改正で消滅するまで同区間を走っていたことになります。