blackcatこと鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 国鉄夜話

国鉄時代の写真並びに時刻表などを中心にアップさせていただきます。 国鉄に関する資料等も順次アップさせていただきます。 取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、コメントにて お待ちしております。

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昭和39年10月、皆さんご存知の通り新幹線開業ですが、この当時の時刻表はなかなか手に入らないので、昭和39年11月号と言うなんとも中途半端な時期の時刻表を手に入れました。
11月号も0系の表紙なんです。
私も知らなかったんですけど、特に光前頭初期タイプの様子がよくわかるのですが、中々前衛的な写真で個人的には面白い写真の撮り方だなぁと思っています。
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さて、早速ページを開いてみますと、新幹線とそれに接続する列車が一覧になっているのですが、1枚で終わってしまう新幹線の時刻表
朝6:00始発の「ひかり1号」 新大阪10:00着で30分の接続で「特急みどり」に乗車すると熊本21:35に到着でいるとのことで、新大阪から熊本まで約12時間かかった計算になりますね。
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さらに、主要幹線連絡を見ていただきますと、当時の新幹線に接続する優等列車他が一覧になってみることが出来るのですが、特急「つばめ・はと」が1時間10分ほどで続行運転しているのが非常に興味深いです。
ただ、不可解なのが同じ181系でありながら「はと」の方が「うt場目」よりも5分程度所要時間がかかるのは、「つばめ」の方が格上と言うことなのでしょうか?笑
まぁ、それは冗談ですが。
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皆様、おはようございます。
気が付くと1週間近くも空けてしまいました。
本日は、皆様を昭和50年3月の時刻表で時間旅行していただこうと思います。
昭和50年3月と言えば、皆さんもよくご存知のとおり山陽新幹線が博多まで開業した年です。
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そこで今回は、博多開業時の新幹線の時刻表を中心にお話をさせていただこうと思います。
昭和50年3月10日、山陽新幹線は岡山から博多間が開業し東京~博多は1本で繋がることとなりました。
東京~博多間は最速で6時間56分で結ばれることとなりました。
新幹線開業前であれば、東京~大阪とほぼ同じ距離を新幹線では博多まで行けることとなったわけです。
ただ、やはり7時間と言うのは時間としては短くないので、本格的な供食設備も必要であろうということで本格的な食堂車が開発され、これが36形食堂車と呼ばれる食堂車でした。
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0系36形食堂車

この食堂車、車体幅が在来線よりも広いことを活かして側通路方式として落ち着いて食事できるようにしたのですが、山側に通路を設けたため、富士山が見えないという問題が起こりました。
まぁ、食事しながら富士山と言うのもと思ったのですがそれなりの要望も多かったのでしょう、後に改造で食堂車内にも窓を設けることとなり、通路を隔てて山側の景色を見ることが出来るようになりました。

その後0系の後継として製作された100系では、ダブルデッカーとするとともに、通路並びに厨房を1階に設けることで山側の景色が見えないという問題と食堂車が通路代わりに使われるという問題を同時に解消しましたが、JR西日本はダブルデッカー4両連結の「グランドひかり」を製作しその存在感を見せつけました、特筆すべきは新幹線として弱め界磁を使って270km/h運転が出来るように準備されており実際に高速試験も行ったのですが、技術的には問題なかったようですが騒音問題がクリアできなかったようで、230km/h運転(0系は220km/h)が行われたにすぎませんでした。

その辺は、また別の機会にさせていただこうと思います。

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博多直通の「ひかり」は赤地に「ひかり」の通称あかひかりまたは「Wひかり」と呼ばれていました。
岡山以西が各駅停車になる「ひかり」は、青地に「ひかり」の通称あおひかりであり、大阪を境に輸送量が減るであろうということでこのような調整がなされていました。
まぁ、いまでも山陽新幹線の本数は、東海道新幹線と比べると少ないのですが、当時はもっと少なかったようですね。
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スキャナーから取り込んだものですので、多少の世見苦しさはご容赦願います。

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