加藤好啓 国鉄夜話

国鉄時代の写真並びに時刻表などを中心にアップさせていただきます。 国鉄に関する資料等も順次アップさせていただきます。 取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、コメントにて お待ちしております。

タグ:寝台車




久々に更新させていただきます、今回は、寝台列車の「あさかぜ」のお話をさせていただこうと思います。

最初に、昭和31年12月の時刻表からご覧いただくこととしましょう。
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青のラインで囲んであるのが、特急あさかぜ、両端の京都始発の2本の急行(熊本行き天草と、長崎行き玄海)が、あさかぜが大阪を深夜2時に到着する代わりの代替列車と言うことで本社が提案したスジと言われています。

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ちなみに、あさかぜ運転前の、昭和30年7月の時刻表がこちらになります。


昭和31年11月20日の改正で「特急あさかぜ」が東京~博多間に運転開始されたました。
この運転には関西支社(大鉄局)が難色を示したそうです。

参考 景気循環と国鉄 第3話 特急あさかぜの誕生
併せてご覧くださいませ。


 最終的には、関西始発の急行列車を二本増発することで、押し切られたとも言われていますが、結果的に常態的に列車が取れない列車として「あさかぜ」は人気を博したと言われています。
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     画像 wikipedia

その結果、32年7月には続行運転の形で下りは30分後、上りは30分前を走る臨時特急「さちかぜ」が東京~博多間に設定されました。
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画像 wikipedia

臨時とは言いながら、毎日運転の臨時列車として運転されたと言います。
 この列車は、ひとまず昭和32年9月一杯までは臨時列車として、10月1日からは東京~長崎間の定期列車として運転を開始することになりました。
 
sachikaze

引用 http://nihonkai.exp.jp/hm/s/sachikaze.html

ただ、続行運転の上「あさかぜ」と「さちかぜ」と名称が似ていたため、誤乗が続出し、昭和33年10月の改正では名称を「平和」に改めたうえ出発時刻も2時間ほど繰り上げることとなりました。これが後の「さくら」となるのですが、この時は「長崎平和の鐘」をイメージした、鐘が描かれたヘッドマークを掲出していました。
heiwa-h

http://nihonkai.exp.jp/hm/h/heiwa.html

ただし、平和という愛称はどうも馴染まなかったのか、昭和34年7月の改正で、「さくら」も「あさかぜ」に続き、20系ブルートレイン化されることになると、名称は「さくら」に再び変更されてしまいました。
余談ですが、平和という愛称はどうにも馴染まないようで、へいわ(初代)→はと、平和(2代)→さくら へいわ(3代)→つばめ、と長続きしない名称ではありました。

ヘッドマークの画像は、日本海ファクトリーさんの画像をお借りしました。

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皆様こんにちは、別のブログで12系+20系連結のお話をさせていただいたのですがその記事に関連して、「急行かいもん」並びに「急行日南」の時刻表を見ていただきます。
いずれも昭和58年1月の時刻表をスキャンしたものです。
当時は荷物輸送の関係もあり、乗客の有無にかかわらずこうした荷物列車が運転されていました。

私も、JRになってからの昭和62年頃ですが、「急行・かいもん」に乗ったことがあります。
青春18きっぷで九州入り、小倉から出水まで乗車、そこから再び各駅停車で西鹿児島を目指した記憶があります。
その時には座席車もリクライニング車だったのでもしかしたら14系もしくは12系を改造したリクライニング車だったのかもしれませんし。寝台車も14系になっていたことと思われます。
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昭和53年頃の時刻表では、門司始発でしたが、この頃には、門司港始発となっています。
しかし、あの頭単式ホームに寝台列車と言うのは絵になったでしょうね。
昭和61年頃も20系が使われていたようです。

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なお、「急行かいもん」と「急行にちなん」がペアで運行されていたので、日南の時刻も貼らせてもらっておきますね。

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「急行日南」は、宮崎からは普通列車となるため、20系客車を使った豪華な普通列車が走っていたことになりますね。
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参考
キャプチャ

昭和60年11月の時刻表から作成しました。

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今回は、山陽本線の徳山~下関(時刻表上は門司)までをアップさせていただきます。
優等列車(急行列車に殆ど、寝台車が連結されていますが、ここで表示されるABCという種別ですが、現在のA寝台・B寝台の区別とは異なります。
ここでいうところの、A・B・C寝台は言ってみればカシオペアのA寝台の中の細区分になります。
一覧表にまとめてみました。

キャプチャ

さらに、他にも門司~下関間には区間列車以外に国鉄による関門海峡連絡船も運転されていました。

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