blackcatこと鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 国鉄夜話

国鉄時代の写真並びに時刻表などを中心にアップさせていただきます。 国鉄に関する資料等も順次アップさせていただきます。 取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、コメントにて お待ちしております。

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本日は、昭和42年2月の時刻表から適当に開いたページを開いて、思うところを書かせていただこうと思います。
今回は土讃本線をアップしてみました。
JR発足後、土讃本線→土讃線と名称を変更していますので、若い人には土讃線の方がわかりやすいかと思いますが、多度津駅から窪川までを結ぶ路線で、多くの列車は高松から直通しています。
さて、早速当時の時刻表を見てみますとimg024

最初に目に付くのが、1等車を連結した夜行列車が、高松を1:08に出発する夜行列車として運転されています。
終着駅は土佐佐賀と書かれており、7:56到着となっています。
土佐佐賀駅?と思って調べてみますと、現在は土佐くろしお鉄道線となっている中村線の途中駅でした。
昭和38年12月18日に部分開業しており、昭和42年当時は、この駅が中村線の終着駅でした。

なお、この1:08高松を出発する241列車は、大阪を18:30に出発する鷲羽7号を受けており、宇野22:00着、宇野発 22:10 高松23:25着の列車を受けて、出発することとなっており、宇野での出発をもう少し遅らせても何ら問題は無いと思うのですが、高松での待ち時間の方が乗船時間より長いという矛盾があるのですが、何か理由があったのでしょうか?
今後もう少し調べてみようと思います。

それ以外にも高松3:30と言う列車等もありましたが、こちらは大阪を20:57に出発する普通電車(快速電車)を受けていました。
列車は1:01に宇野到着、そこから宇野線ダッシュで1:09宇野発、2:19高松港着、そしてここでも約1:10分ほど高松駅で連絡待ちしてから出発しています。
なお、高松を5:17に出発する足摺1号は、大阪を23:00に出る鷲羽8号を受けています。

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宇野線の時刻表は下記のようになっています。
高松3:30の列車は、高松2:19着の連絡船を受けて出発する列車のようで、大阪を20:57始発の快速電車となっています、大阪を出ますと、三宮・神戸・明石・大久保・土山・加古川からは各駅に停車、宇野線内は、大元・妹尾・早島・茶屋町と停車した後宇野まで直通、8分の乗り換え時間と言う非常にリスキーな乗り換え時間です。
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1時01分、宇野着、1:09宇野発というかなり厳しい乗り換え時間
当時の宇野駅はもっと海よりでしたがそれでも、この乗り換え時間はかなり厳しかったのではないでしょうか。
その反面、四国に着いてからは待ち時間が1時間近くあるという矛盾です。


宇野では、桟橋までのマラソンが日常茶飯事だったと聞いたことがありますが、8分はちょっと厳しかったのでは無いでしょうか。特に大きな荷物を持っての移動はかなり酷だったような気がします。

しかし、実際に時刻表を見ていただくと判ると思いますが、普通列車の接続は7分とか8分という非常に短い連絡時間となっています。
なにゆえそのような時間になったのかは今後調べてみようと思います。

だらだらと書いても仕方が無いので、この辺で終わりにしたいと思いますが。
当時の時刻表を見ながら当時の世相などを考えていくと面白言うかもしれませんね。

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瀬戸と言えば、サンライズを思い浮かべる方も多いと思うのですが、実はヨンサントウと呼ばれるダイヤ改正で準急格上げの「急行うわじま」に合併されてしまいましたが、少なくとも昭和25年の時刻改正の頃から四国には「せと」という列車が走っていたと言うことを知っていただければと思います。

復刻版である昭和25年10月号の時刻表を確認しますと、昭和25年10月(安芸併結の急行列車を受ける形で、「準急せと」すでに愛称が付けられています。)が松山まで運転されており、19:25に到着したと記録があります。
取りあえず復刻版を含めて遡れるのはここまででした。
更にもう少し調べれば何か答えが出て来るかと思うので、もう少し古い資料を探してみたいと思いますが。

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昭和25年から「せと」という名称で連絡列車が走っていたことには驚かされます。

さらに、昭和28年2月の時刻表では、本州の急行瀬戸を受ける形で、「準急列車せと」が走っています。
高松桟橋15:20、宇和島22:20着のダイヤになっています。東京を22:00丁度に出発ですから24時間20分に旅となります。
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その後は順調に成長?したようで、途中は端折りますが、昭和40年の時刻表を見ますと、「せと」は2往復に成長?しています。
並行して走る列車として「準急うわじま」が「第1せと」に寄り添うように走っていました。

準急の方が停車駅が多く同じ気動車運転でしたが停車駅が若干多いこともあって、宇和j間到着時には60分も差が付けられていました。

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なお、ちなみに昭和41年10月の時刻表では、「急行せと(四国島内急行)」は2往復となっています。
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