加藤好啓 国鉄夜話

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タグ:北陸本線



本日は、北陸本線にスポットを当ててみたいと思います。
北陸本線は、滋賀県米原市の米原駅から直江津駅までの区間でしたが、現在は金沢~直江津間が経営分離されたので、金沢までなんですね。苦笑
昔の記憶で書いてしまうところでした。

北陸本線と言えば、敦賀まで直流化されましたが、それ以前は交流電化でしたよね。元々、全区間直流で電化する予定だったのが仙山線での結果が良かったので急遽予定が変更されて、昭和32年には商用電化での初めての本格的電化区間となりましたね、。
また、米原~田村の間が非電化で残されE10やD50形がけん引するなど、米原から先は東海道線とは少し違った雰囲気がありました。
仮に、北陸本線が直流で電化されていたら、また雰囲気も変わっていたかもしれませんよね、・・・という妄想も広がります。
さて、余談はさておき、昭和42年の時刻表で北陸本線を楽しんでいただこうと思います。
今回参照したのは、昭和42年2月の時刻表です。
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これを見てみますと、新幹線開業前は東京~大阪間を走っていた夜行急行金星が、大阪~富山間の夜行列車として運転され、「つるぎ」は座席夜行、金星が寝台車連結の夜行列車として棲み分けが出来ているようです。
ただ、寝台専用にしないところに、オール寝台では満席に出来ないという不安が残っていたことが伺えます。
他にも、能登が東海道線経由で米原から金沢を目指していますが、これは名古屋まで「急行大和」と併結運転のためであり、東京から名古屋間は堂々の14両編成、名古屋で後ろ6両を切り離し、残り前8両が金沢行きとして運転されていたようです。
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他にも、「急行きたぐに」は新潟までのローカル急行であり、和倉行きの奥能登と併結運転されています。
当時の日本海縦貫急行は、急行日本海であり、日本海が特急に格上げされさい、同列車の愛称が変更されて「急行きたぐに」となりました。
他にも、山陰線の特急列車としての方が知名度は高いでしょうが、「あさしお」が急行列車として、米子発小浜線経由金沢行きの列車として運転されているのも興味深いですね。

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昭和57年は、貨物列車にとっては大幅にその本数を減らすと言う国鉄始まって以来の減量ダイヤ改正が行われました。
また、旅客列車なども減少し、機関車の余剰が目立ったほか、東北新幹線の開業により、寝台列車も減少し、581(583)系の余剰が目立つようになってきました。
九州特急では、25形寝台などの置換えもあって、583系に余剰が発生、元々寝台車から座席への転換並びに整備に4時間近くかかることから、電車の始発着が早朝・深夜にならざるを得ず、上手い具合に往復できるところが無くなってきたこと。
さらに、581・583系は昼夜兼行で走っていたことから電気機器の更新を昭和50年過ぎに行っていたこともあり、廃車するわけにもいかず、かつ国鉄財政の悪化は待ったなしの状況の中、生まれたのがこの419系&715系でした。

直流電車に交流機器を加えたものが485系や583系であり、JR西日本になってから誕生した、415系800番台は、その逆のパターンで、113系に交流機器を取り付けたものでした。

715系は、交直流切替器、空気遮断器(ABB:Air Blast Breaker)を撤去したものであり電気的には直流電車に変電所を持たせたものが715系であり、現在の交流電車とは制御方法が異なります。

この辺のお話は、また別に機会に書かせて別の技術ブログで書かせていただきます。

「ゆうづる」減便の件は誤りでる旨をご指摘いただき修正させていただきました。訂正の上謹んでお詫び申し上げます。

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419系

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419系の車内 デッキが撤去されドアが増設されている。
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モハ車は運転台のみ新規に製造してブロック工法で取り付けられている。
ファンの間では、食パン顔と呼ばれて親しまれました。

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