加藤好啓 国鉄夜話

国鉄時代の写真並びに時刻表などを中心にアップさせていただきます。 国鉄に関する資料等も順次アップさせていただきます。 取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、コメントにて お待ちしております。

タグ:ダイヤ改正

本日は、「特急あずさ」のお話をさせていただこうと思います。
JR東日本では、3月の改正で、停車駅の整理と定期列車をE353系に統一することでスピードアップを図るようですが、これは高速バスへの対抗だと思われますが、今まで停車駅であった駅にしてみれば利便性という点でマイナスになってしまいます。
この選択が吉と出るか凶と出るか、検討する必要があるかと思います。
ここでは、今回の措置の良否ではなく、国鉄時代【昭和41年】の誕生当時のお話しをさせていただこうと思います。
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昭和41年12月号時刻表
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特急あずさ運転開始を告げる案内
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特急あずさ1号の時刻表

あずさ、あさまは、公募で誕生した
当時の記事を参照しますと、下記のように書かれています。
新設列車の事前宣伝で、決定愛称は夏山シーズンの最盛期である八月をねらい1、もう一度大々的に駅や列車内にポスターを出して、新特急登場の前景気をあおる計画である。本計画は去る五月二十日愛称公募の新聞発表を行なうとともに、5月25日から東京国電、上信越中央各線の列車内、関東、甲信越地方の全駅に、181系電車(旧こだま型)のへッドサインに?をあしらったポスターを一斉に掲出、補助媒体として時刻表を使用した。この結果早くも五月中に8,785通の応募があり、その後日を迫って憎加、6月10日消印までのものを、14日17時締切ったが、約半月間でその数実に7万園6,461通、一日平均約5,000通という盛況であった。
ベストテンは
信越線
  1. あさま(2,981通)
  2. 千曲(1,492通、以下略)
  3. 信濃
  4. みすず
  5. 善光寺
  6. 黒姫
  7. 白樺
  8. 山彦
  9. 信濃路
  10. うすい
中央線
  1. あずさ(1,935通)
  2. 雷鳥(1,091通以下略)
  3. アルプス
  4. かもしか
  5. やまなみ
  6. すわ
  7. 美鈴
  8. 山彦
  9. 蓼科
  10. こまくさ
という結果が出たが、それぞれ現在使用中の愛称が割合い多く入っており、また両線に共通するイメージを与えるものもあり、結局双方最多数票を獲得した「あさま」、「あずさ」を採用することとした。

引用 国鉄線昭和41年9月号
特急あずさが誕生したのは、昭和41年12月改正から
本来であれば、昭和41年10月の改正で、あさまと一緒に誕生するはずだったのですが、複線化の完成が遅れたため、デビューが2か月遅れたと言われています。
当時の資料等を参照しますと
  • 大月~初鹿野間のうち、大月初狩~笹子間は11月中に完成
  • 笹子~初鹿野間6.1kmが12月12日
  • 青柳~茅野間(1.1km)は12月5日
に複線使用開始したと記録されています。
結果的に、笹子~初鹿野間の複線化を待ってあずさがデビューしたことになります。


「あずさ」は「とき」と共通運用
「あずさ」と「とき」は、共通運用とされましたが、同時期に誕生した「あさま」は横軽間を通過するため、編成は8両に限定されるため、下記のように編成が異なっていました。
これにより、「あさま」に関しては、食堂車の連結が行われず、特急としては異色となりました。
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「あさま」と「あずさ」は編成が異なるため、運用は分けられており、「あずさ」は「とき」との共通運用が組まれていました。
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鉄道ファン第64号 昭和43年10月号から引用

クハ180形誕生と食堂車誕生

今回の「あさま」・「あずさ」増発で新製された181系は45両で、内訳は以下のとおりでした。
  • モロ181(Ms)・・・・  101~103
  • モロ180(M's)・・・・ 101~103
  • モハ181(M)・・・・・101~112
  • モハ180(M')・・・・・101~112
  • クハ181(Tc)・・・・・101~108
  • クハ180(T'c)・・・・・101~104
  • サシ.181.(Td)・・・・・101~103
の合計45両が新製されました。
【注:昭和41年の製造当時、その後昭和44年に増発用として、5両追加で製造されています】

サロ181・5両、サロ180・2両、サハ181・3両が転用で向日町から転用されています。なお、サハ181はサロ151もしくはサロ181からの改造です。
赤文字は、横軽対策が施された車両を示しています。

あさまに食堂車を連結しないこととしたため、一つ問題が生じました。
それは、従来の特急車両は食堂車でジャンパー線をクロスさせることで、制御車を共用できたのですが、食堂車が連結されないため、それが不可となりました。
当時の181系ではジャンパー線の種類が異なり、485系のように制御車側で両方の受け口を設けることが出来なかったため、「あさま」の上野向き専用制御車として製造製造されました。
また、食堂車は、中央線「あずさ」用として製造されたため【実際には「とき」と共通運用】、壁に穂高岳などがイメージできるレリーフを取り付けたほか、レジカウンター付近には、道しるべをイメージする飾りが採用された他、ベネシアンブラインドが採用され、その後583系や381系、更に14系寝台車の食堂車などにも採用されました。img608



現在のJRでは、列車種別は、特急・快速・普通(快速も普通電車ですが)となっています。
嘗ての国鉄時代には、特急・急行・普通(快速を含む)と3種類の列車がありました。

更に遡って、昭和30年代の時刻表などを参照しますと、特急・急行・準急・普通という4つの種別があります。
戦前は、準急は実質快速列車のようなもので準急行料金は不要でしたが、戦後国鉄発足後は準急料金も必要になりました。

国鉄はご存じのとおり昭和39年(1964)から赤字決算になったのはご存じのことと思いますが、増収の思惑もあって、昭和41年3月の運賃改定時に、100km以上走行する準急列車は急行に格上げすることとしたのです。

元々、準急という列車種別が設けられていました。
当時の特急は文字通り特別な急行列車であり、庶民が簡単の乗れる・・・そんな代物ではなかったのです。
自ずと急行列車が庶民の特急で有ったわけです。
ただ、戦後の荒廃で車両の整備もままならず、ローカル線の列車等では古い客車を使わざるを得ず、そんな列車に急行料金を取るのも憚られることから、準急行として走らせていたという経緯もあります。
実際には、関西線の「準急かすが」のように普通列車でも評判の悪かったキハ17系をわざわざ当時の準急色に塗り替えて、キロハ18と呼ばれる半室2等車(グリーン車)を連結させていたというとんでもない列車等がありました。

急行列車の急行料金というのはそうした意味では、設備料金という位置づけだったのです。

実際には、準急東海のように153系電車が投入され、客車急行よりも早く快適な列車もあったりしました。
実際には客車列車や急行電車にはリクライニングシートの2等車(グリーン車)や食堂車(ビュフェ含む)といった供食設備も充実しており昨今の在来線特急よりもサービスは良かった部分もありました。

しかし、その御車両の増備が続いたことで、気動車でしたらキハ28・58による急行列車の他間合い運用で準急列車等にも入るようになると、いよいよ準急=安かろう・悪かろう では無くなってきたことや、増収の思惑から、100km以上走行する準急列車は一斉に急行になったのです。
一部の列車では100km未満でも併結列車が急行の場合は急行を名乗ることになりました。
昭和41年10月の改正で、名古屋~北濃間で運転を開始した「急行おくみの」は全線70kmほどですが、急行たかやまと併結のため、急行扱いになっていました。
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昭和41年10月の時刻表から引用

下図の時刻表を見ていただくと、同じ列車名でありながら昭和40年10月の時刻表では準急に、翌年の昭和41年10月時刻表では急行列車になっています。
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昭和40年まで準急であった、みささ、かいけ、砂丘等は準急になっています。
初乗り運賃が10円から20円に上がり、かつ準急時代はどこまで乗っても100円だったのが、距離に応じて100円~500円の間となり、「みささ」で大阪から鳥取まで乗車すると、今まで100円であった列車券が300円と急行料金だけで3倍になった計算になります。

参考までに、昭和40年の準急並びに急行料金と昭和41年の準急並びに急行料金をご覧ください


昭和40年の運賃表、300kmでと300km以上という分け方となっています。
長距離になるほど割安と言えます。
なお、1等(現・グリーン車)の端数は通行税が1割かかるためです。
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昭和41年10月時刻表
100km~1000km以上までの地帯区分が細分化し200kmまでは同額ですが401km以上はかなり大きな値上げになりました。

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なお、現在は定期列車として残っていた、急行「銀河」や、「きたぐに」が廃止されたことに伴い、定期列車の急行列車は走っていませんが、JR東日本・東海で下記のような列車が走っているようです。

JR東海 急行「飯田線80周年秘境駅号」 373系使用
JR東日本 急行 「ぶらり横浜・鎌倉号」 651系使用

だそうです。
ご教示いただきましたので追記させていただきました。
ありがとうございます。

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JR発足時の運転ダイヤ・・・実は昭和61年10月に作られました。
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昭和61年時刻表

昭和62年4月1日JR各社は発足しますが、運転ダイヤは昭和61年10月のまま、ということで国鉄時代のダイヤを踏襲していたことになり、本格的なJRのダイヤ改正は昭和63年3月のダイヤ改正まで待つ必要がありました。
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と言っても、実際のダイヤ改正の素案などは昭和61年頃からスタートしているので、昭和63年の改正も、基本構想は国鉄時代に出来上がっていたそうです。
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余談ですが、JR発足当初は、JR各社で設計図の使いまわしと言うか借用は有ったようで、
リゾートサルーン・フェスタの先頭車のガラスは、スーパーエクスプレスレインボーの下端を短くしただけで共通の設計図と言うか部品を使ったということも聞いたことがあります。
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リゾートサルーン・フェスタ

Superexpress_rainbow
スーパーエクスプレスレインボー

当時は分割したとはいえ、元々同じ国鉄と言う組織ですから、管理局が大型化したみたいな感じだったのではないかと思いますが、30年もたつとその辺の意識は薄れて来るようですね。

特に、東京駅の新幹線乗り場を見るとつくづくそう思います。
歴史にIFは無いけれど、分割されていなかったら東北新幹線が品川着だったリ、その逆に東海道新幹線が上野まで乗入なんてことも普通に行われていたんだろうなぁと・・・。-


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国鉄最後のダイヤ改正は何時だったか覚えていますか?
昭和61年(1986年)10月のダイヤ改正でした。
国鉄としては最後のダイヤ改正であり、JRとしても最初のダイヤと言うことになります。

国鉄改革の場合他の公社(電電公社や専売公社)と異なり、組織を分割してなおかつ、職員の振り分けも並行して行うという他の公社と異なる部分がありました。
詳細はまた別の機会に詳しく書かせていただきますが、会社を分割することになるので会社ごとの資産分が行うことになります。
例えば機関区の場合、当該機関区が貨物だけとか、旅客会社だけと完全に分離で来ている場合は問題ないのですが、そうでない場合は使用する面積などに応じてその案分割合を決めるもしくは分離できない場合は共用スペースとして面積等に応じて費用分担額を決めるなんてことも行い、各会社の資産を決める必要がありました。 

他にも職員の人選と言うことで、下記のような資料に基づき調書が作られて最終的に新会社が採用者を決めるなどのことも行われたそうです。 
 http://jnrera.webcrow.jp/potal_shiryou/kaikaku/kanrichousho.html
 
さて、そろそろ本題に入ろうと思います。
どこを引っ張っても良いので適当に開いてみたページからアップさせていただこうと思います。
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 昭和61年函館本線 長万部~札幌~旭川間の時刻表
昭和62年4月1日以降も、国鉄のダイヤをそのまま踏襲する形で新生JRは走り続けることとなり、一足早くJRに対応したダイヤ?もしくはJRのダイヤ自体は翌年の青函トンネル開通並びに、備讃瀬戸大橋開通までお預けになたっと言うべきでしょうか。
いずれにしても、昭和63年には日本列島一本列島のキャッチフレーズで大幅なダイヤ改正が行われたのはご存じのとおりです。

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