昭和34年に登場した、修学旅行電車「ひので」「きぼう」ですが、その成功を受けて中京地区でも修学旅行電車を昭和35年に利用債を引き受けて製作することになりましたが、問題が発覚し利用債の引き受けは1年延期することになります。
それは、紀伊半島をから中京地区を襲った伊勢湾台風による被害が大きかったためでした。
当初は、昭和35年に利用債を引き受けるとことで、車両を投入する予定でしたが、その計画が困難となってしまいました。
 引き受けが延期になった経緯が経緯だけに、国鉄は名古屋地区の修学旅行生のために153系の予備車をかき集めて修学旅行専用電車として運転、当時の新聞には、「愛の修学宇旅行電車」として大いに感謝されたと言います。
 翌昭和36年には、利用債の引き受けが行われ中京地区専用として159系電車が製造されることとなりました。
なお、名古屋地区の修学旅行電車は、「こまどり」の愛称が付けられ、「大垣~品川」間で運転されました。
基本的なスタイルは155系と同じながら下記の点が異なっていました。

155系では2+3人掛けでしたが、159系では2+2人掛けとなり153系と差異が無くなりました。
また、これに伴い網棚の形も同様に変更されました。
また、155系では、座席の間に専用のスペーサーを入れることで簡易ベッドにしていましたが、159系ではA寝台下段のように、座席を前に引き出すことで簡易ベッドにすることが出来るようになっていました。
何れも、カーテンを上からつるせるようになっていたことは言うまでもありません。
他に外観の特徴としては、155系では定員が多いこともあって103系などと同じ円筒形の通風器でしたが、159系では153系と同じ押し込み式通風機になるなど若干仕様が変更されていました。

それ以外は、155系も159系もほぼ同じでしたが、
中京地区の159系は「臨時準急ながら」等に使われる機会が多かったと聞いています。

その後、165系ベースの167系も製造されていきますが、これはまた別の機会にでもお話しましょう。

他にも、国鉄では修学旅行電車の気動車版がありました。こちらは、専用形式と言う訳ではなく、キハ58-800番台として、塗装が修学旅行用色になった他、テーブルの増設置などが行われた程度であり、九州地区では「とびうめ」東北地区では「おもいで」という愛称で使われたようですが、運転期間は短かったのか時刻表には特段の表示はありませんでした。
1280px-DC58_Omoide
画像 Wikipedia (塗装だけ修学旅行色にした似非800番台)

今となっては、思い出の記憶の中にしかないこれレ他の列車ですが、ふと思い出し語り合って生ける機会があれば幸いです。

標題は155系になっているのですが、写っている車両は159系と言うオチですね。苦笑(1.50辺りから155系が出てきますが、155系と159系、167系がごっちゃになっています。

まぁ、どうでもいいことなんですけどね。

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