新幹線博多開業後の夜行列車はどのように変化したのでしょうか。
東京始発の長距離急行高千穂・桜島が廃止になり、名古屋発着の阿蘇も廃止になりましたが、それ以外の東京発着のブルートレインの本数に影響はなく、関西発着の特急4往復減少した程度でさほど大きな変更はありませんでした。
「あかつき」が削減されて「明星」に統合された他、西鹿児島行き寝台特急として「なは」が新たに誕生しています。
寝台特急「なは」は鹿児島新幹線開業時は熊本までに短縮された運転になりましたが。
本題に入る前に少しだけこの列車の誕生経緯をお話しておきましょう。

特急「なは」・・・名前からわかるように、沖縄県那覇市の地名から命名されたもので、「なは」と平仮名で書かれるとピンときませんよね。
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「特急なは」

機会があれば詳細はまた別の機会に書かせていただきますが、沖縄がアメリカの施政権下に置かれていたころ、早期本土復帰の願いを込めて琉球新報が「本土に沖縄名の列車を走らせよう」というキャンペーンで公募したものが始まりで、これを受けて昭和43年10月のダイヤ改正で「特急かもめ」の鹿児島編成の愛称を「なは」に変更したのが始まりであり、その後も伝統は受け継がれて、博多開業後は消える運命にあった「昼行特急なは」は再び「寝台特急なは」として復活したわけです。

さて、前置きが長くなりましたが、当時の時刻表を見てみますと、「霧島」が消えて、「あかつき」が長崎方面の列車名に統一され、「彗星」は引続き大分方面の列車に使われることになります。
また、関西方面では2段寝台化が進みそうした意味ではサービスの向上は西日本から行われたと言えましょうか。
それでは、昭和49年12月の時刻と昭和50年3月の時刻表の比較をどうぞご覧くださいませ。キャプチャ1

当時の国鉄の時刻表風に、臨時列車は黄色にしております。
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キャプチャ2
列車の併合が多いので列車本数的には4往復減ですが実際にはさらに減った感はあります。
ただ、夜行バスが現在ほど発達していませんでしたので座席主体の夜行列車が多客期を中心に需要があると見越して客車による列車が設定されています。

昭和50年3月の列車ダイヤをどうかご覧くださいませ。
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