昭和43年6月27日、大阪と青森を結ぶ特急白鳥ですが、山陰本線・小浜線経由で青森に向かったそうです。
その経緯は、東海道線膳所駅での脱線事故でした。
当時は湖西線は開通していませんので、膳所駅で事故が発生したことから当然のことながら大阪~北陸方面の列車も運休を余儀なくされました。
当時の国鉄は、せめて日本海縦貫線の特急だけは走らせたいとして、以下のような苦肉の経路で走らせることにしました。
実際にこのルートは、昭和37年8月26日の台風14号の14号の際にも迂回運転が行われているので実際には二回目と言うことになるわけですが、当時の国鉄の意地と言いますか中々ユニークな運転をしていたと言えそうです。
すなわち、
大阪→京都【東海道線】→京都→綾部【山陰本線】→綾部→舞鶴【舞鶴線】 舞鶴→敦賀【小浜線】を経由して青森を目指したと言うことで、白鳥が気動車であったことが幸いしてこのような列車が実現したと言えるのですが、堂々14両編成が小浜線を走ったと言うのは非常に貴重な記録であったと言えるかも知れませんね。
ちなみに、膳所駅脱線事故というのは、以下のような事故でした。
東海道本線膳所駅構内で上り貨物列車が脱線転覆して本線と京阪電車を支障、機関士の居眠りが原因 6/270時25分頃上り吹田操車場発青森行貨物列車 「第4北海」 が副本線へ待避の際、時速35km制限のところを約時速70km で分岐点へ突人、その際、機関車EF60119が脱線、約300m暴走、ジャリにめり込みやっと停止. 貨車は機関車との連結器がはずれ約30両が転覆、横転し、信号所、並進する京阪電鉄石坂線、国鉄浜大津線へ突込んだ。 このとき架線の支柱が折れたことで、下り本線も支障。そこに、ほぼ同時に富山発吹田操車場行きの貨物列車3574列車が事故現場へ突入。架線の鉄柱に機関車 EH1018衝撃、機関車と貨車2両が転覆、特急16本、急行48本、電車55本など区間運休した→7/16 EH1018廃車
→京阪石山坂本線 国鉄膳所駅で起きた脱線転落事故のため浜大津 ~ 石山寺間が運休
国鉄があった時代 昭和43年前半から引用
この事故は乗務員が二人とも居眠りしていたことが原因とされており、青森行き貨物列車が速度超過で脱線、機関車と貨車は連結器が外れ、45両の内30両が脱線・転覆、貨車の一部が下り線側の電柱を折ることとなり、吹田操行きの機関車と衝突、前面を大破した、EH10は約1ヶ月現場に放置された後、くず鉄扱いとして運び出されたと言われています。