blackcatこと鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 国鉄夜話

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カテゴリ: 鉄道

この列車、一部を画像加工させてもらっているのですが。
佐世保行きという列車、本来なら長崎・佐世保であっても不思議ではないというか、長崎に何故行かないのかという疑問を持たれるのではないでしょうか。
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 1001列車、東京~大阪間には3等車が連結されていますがそれ以外の区間は3等は連結されないようです。
実はこの列車特殊列車と呼ばれるもので、当時の時刻表の解説に

特殊列車 東海道線方面1001,1002,1005,1006列車 、東北方面1201,1202列車の1.2等急行券は発売枚数に制限があり、また発売駅は限定されております。
と明記されています。
日本人でありながら日本の鉄道に乗れないという矛盾がある列車、それが特殊列車でした。 

キャプチャv
 
当時の特殊列車の編成
西海は3等を連結した(実際は大阪で車両の大半を入替)する列車であったのに対して、早鞆は1・2等のみという豪華列車となっています。
ちなみに、特殊列車という名称から正式に 愛称がつけられたのは昭和29年10月の改正でした。
それまでは、特殊列車といういかにも特別な怪しい?列車だったわけです。
あいにく、29年10月の時刻表が無いので、昭和30年7月の時刻表をご覧いただこうと思います。

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昭和30年時刻表の西海

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同じく、特殊列車の流れを汲む「早鞆」

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国鉄があった時代 JNR-era

 




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皆様、長らく開けてしまいまして申し訳ございません。
今回は、昭和38年の信越線を見てみようと思います。

今回も当時の時刻表からご覧いただきましょうか。
準急・急行が走る中に1本だけ特急列車の名前が見えます。
その名は。「特急白鳥」
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上野駅を09:05に出発、終着駅は大阪20:17ということで約11時間かけて走るという代物、今では新幹線で2時間半、仮に北陸新幹線が大阪まで開業したとしたら4時間程度になるかもしれませんが・・この列車は実はさらにもう一つの特徴は2階建て列車だったということでしょうか。
2階建てと言ってもダブルデッカーを連結していたという意味ではなくて、2方向の違う方向に向かう列車が連結されていたということです。
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さらに、この白鳥は、横川~軽井沢間はアプト式区間を通過するという経路を辿っておりました。
さらに11時間も運転しますので食堂車がいずれの編成にも連結されており、14両編成で食堂車が2両もあるというなんとも豪華な編成でした。
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今ではちょっと考えられませんよね。
余談ですが、ラックレールを使って運転していた時は80系電車などはコイルバネのままでしたが、特急気動車は勿論、急行気動車も空気ばね式の台車を使っていました。
これは、人員の重さで車体が下がりすぎてラックレールにぶつからないように、一定の高さを保つために必要であったとわれており、その後の粘着運転では重心の低下と座屈による脱線防止の観点から空気ばねをパンクさせるようにするなどその手続きは変わりましたが、当時は「急行志賀」等はキハ57形が投入されておりました。 

昭和39年10月、皆さんご存知の通り新幹線開業ですが、この当時の時刻表はなかなか手に入らないので、昭和39年11月号と言うなんとも中途半端な時期の時刻表を手に入れました。
11月号も0系の表紙なんです。
私も知らなかったんですけど、特に光前頭初期タイプの様子がよくわかるのですが、中々前衛的な写真で個人的には面白い写真の撮り方だなぁと思っています。
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さて、早速ページを開いてみますと、新幹線とそれに接続する列車が一覧になっているのですが、1枚で終わってしまう新幹線の時刻表
朝6:00始発の「ひかり1号」 新大阪10:00着で30分の接続で「特急みどり」に乗車すると熊本21:35に到着でいるとのことで、新大阪から熊本まで約12時間かかった計算になりますね。
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さらに、主要幹線連絡を見ていただきますと、当時の新幹線に接続する優等列車他が一覧になってみることが出来るのですが、特急「つばめ・はと」が1時間10分ほどで続行運転しているのが非常に興味深いです。
ただ、不可解なのが同じ181系でありながら「はと」の方が「うt場目」よりも5分程度所要時間がかかるのは、「つばめ」の方が格上と言うことなのでしょうか?笑
まぁ、それは冗談ですが。
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1977年(昭和52年)3月25日に発表されたのが、歌謡曲が、狩人が歌う、「あずさ2号」でした。

兄弟デュオ・狩人のデビュー曲でしたが、列車の名前そのものが歌の題名になるというのも珍しいかったものです。
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本日は、特急あずさ2号が走っていた、中央本線(新宿~松本間)のお話をさせていただこうと思います。
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さて、ここで登場するあずさですが、デビュー当初は当然のことながら181系で運転されていました。
それまで、天井に取り付けられていたヘッドライトが撤去されてしまいました。
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画像 Wikipedia 181系オリジナル

これは中央東線の狭小トンネルを通過する際にヘッドライトが支障するということで撤去されたもので、その後の直流電車は183系もそうですが天井のヘッドライトは省略されることとなりました。
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画像 Wikipedia ヘッドライトが最初からない181系100番台

485系は181系よりも床面高さが10cm程度異なったので最初から中央東線などのトンネル狭小区間に入れませんのでヘッドライトの撤去は行われませんでした。

ただし、昭和50年に入ると181系は老朽化を理由に早々と189系に置き換えられてしまいました。

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見にくくて申し訳ないですが、グリーン車2両連結が189系長野区配置、グリーン車1両は幕張電車区配置の183系0番台

狩人のあずさ2号がヒットした頃の編成表を見てみますと、あずさ2号は、幕張電車区所属の183系(当時は共通運用)が使われていたそうで、189系編成がグリーン車2両連結していたのに対して、183系編成はグリーン車1両の寂しい編成でした。
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個人的には181系「あずさ」が一番絵になったと思うのですが・・・。

ただ、この歌がヒットしたことで実際に「あずさ2号」で旅をする女性が増えたと言う記録もあったりして当時はちょっとした社会現象になっていました。

さて、それはさておき当時の新宿駅を中心とした中央線の様子を更に見てみましょう。
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「あずさ」はほぼ1時間おきに出発し、同じく30分後に急行かいじ・アルプス等が出発するダイヤになっていました。
さらに、新宿発松本行きなどの長距離普通電車も走っていますし、当時は高速バスなどがありませんので22:30以降は急行アルプスが松本方面に向けて下って行くという時代でした。
いまだったらその役割はすっかり高速バスに取られていますが。

現在はサンダーバード、以前は日本海やトワイライトエクスプレスも湖西線を走っていますし、北陸から関西方面への貨物列車は湖西線を経由することが一般的になっていますが、距離は短い反面東海道沿線と比較すると人口の集積が少ないのと風の影響を受けやすいので時々サンダーバードは米原回りに変更される場合があったりしますが、湖西線が開業するまでは当然のことながら北陸本線へ直通する列車は米原経由でした。
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当然のことながら、北陸本線は米原がジャンクションになっているため、名古屋経由も大阪経由もここから北陸方向に進むため優等列車で非常ににぎわっています。img304

さて、湖西線は昭和49(1974)年7月に鉄建公団のC線(主要幹線)として建設されました。
当時の鉄建公団では、建設すべき線路の種類に応じて、地方開発線(A線)、地方幹線(B線)、主要幹線(C線)、大都市交通線(D線)、海峡連絡線(青函トンネル、E線)、整備新幹線(G線)、民鉄線(P線)の7つに区分していました。
特に、地方開発線(A線)、地方幹線(B線)(いわゆる、AB線)に関しては国鉄に無償貸付または譲渡と言う名の押し付けが行われ、それ以外の路線は30年程度の年賦で譲渡される形になっていました。

さて、そうした余談はこの程度にして,
開業当初のダイヤを早速見てみましょう。
昭和49(1974)年7月に開業する湖西線ですが、特急列車の運転は翌年の3月新幹線博多開業まで持ち越されることとなりました。
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と言う訳で、開業当時の湖西線は非常にシンプルなダイヤでしたが、全線高架線の高速運転も可能なスラブ軌道の鉄道は非常に新鮮でした。
反面、駅の作りなどが画一的でどの駅も同じような構造になってしまう・・・そんな時代でもありました。

なお、デッドセクションは近江塩津でしたので、直流電車は永原まで運転でした、近江塩津を越えて敦賀に行くには気動車による連絡とされており、キハ26等が投入されていました。
ただし、本数は1日3往復のみと言う寂しさでした。
 
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開業に備えて113系700番台が新製配置され、旧形もしくは首都圏のお古しか回ってこない阪和線ユーザーにしてみれば新車投入は羨ましかったですね。
今更蛇足な説明かと思いますが、113系700番台は113系に半自動ドア開閉の機能を付加して、耐寒耐雪装備(雪切室)等を設けた車両でした。
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また、車両の詳細は別のブログなどで紹介させていただきます。

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国鉄があった時代 JNR-era

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