本日も久微にランダムに開いた時刻表からと言うことで、昭和35年3月号の時刻表を紐解いてみたいと思います。

昭和35年、1960年
国鉄の3等級制が廃止され、2等級制になった年でもありました。
2等級制になったのは、昭和35年7月で、6月にデビューしたパーラーカーは、本来は1等展望車の代わりでしたが、2等級制になるが判っていましたので、クロとしてデビュー、ただし、1ヶ月だけ3等級制により2等車として運用するため、出入り口の1の表示をカバーで囲み、2としていました。

今回取りあげました時刻表は、3月号であり、展望車が連結された青大将と呼ばれる編成で走っていた頃のお話です。
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1等~3等までの各等特急ですが、3等車が5両と半車、2等車が食堂車を挟んで5両、1等展望車が1両の11両編成であり、食堂車が2等車の間に挟まれているのは暗に3等客の利用を排除していたものと推測されます。
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早速、時刻表を開いてみますと・・・。

特急「つばめ」は、朝9時、東京駅を出発、その30分後には急行「なにわ」が同じく、大阪に下っていきます。

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当時の特急は、文字通り特別なものであり、多くの庶民と呼ばれる人たちは、「なにわ」に乗車するのでした。

なにわは、非常に人気のある列車だったようで、常に100%以上の乗車率【座れない列車】ということでも有名だたようです。

下図参照
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余談ですが、3等車は、スハ44と呼ばれる客車が使用され、「つばめ・はと」での運用廃止後は、団体線用列車用に改造され、回転クロスシート化すると共に、南紀観光団体専用列車に投入されることとなりました。
南紀観光団体専用列車は東京~伊勢(二見浦)を経由して、勝浦・白浜・京都を観光して東京に戻る、現在のクルージングトレイン?のようなものでした。
まぁ、現在のクルーズトレインのように、富裕層向けという性格のものではなく、団体旅行の延長のようなものでした。
経済が復興して、少しずつ旅行に行くだけの余裕が出てきたことから、実現したものでした。

併せてご覧ください。
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