加藤好啓 国鉄夜話

国鉄時代の写真並びに時刻表などを中心にアップさせていただきます。 国鉄に関する資料等も順次アップさせていただきます。 取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、コメントにて お待ちしております。

2017年04月

以前に新快速のお話をさせていただきましたが、今回は阪和線を走った新快速のお話です。
阪和線を走った新快速が誕生したのは昭和47年3月のダイヤ改正で新快速が誕生(新幹線岡山開業で153系が余剰となりその玉突きで153系で新快速を増発、15分ダイヤが組まれるのですが、本社から大鉄に配属されている冷房装置付き113系電車を天鉄にいどうさせろtるを天鉄局に転属させろと言うことでかなり大鉄と本社の間で揉めたそうですが、結局本社に押し切られる形で113系を手放したのですが、その車両を使って運転開始になったのが阪和線の新快速になるわけです。

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当時は103系快速が53分から56分、113系も52分くらいかかっていましたので、45分は夢のような速さでした。
口の悪いファンからは戦前のレベルにやっと戻ったと言う人もいたようですが、実際には戦前の(阪和鉄道時代)特急はのストップでしたからそれよりも間違いなく早くなったと言えましょうか。
当時の停車駅は鳳のみでしたが。1時間に1本、更に停車駅が鳳のみでは利用者はあまり見込めず、何時のってもがらgらと言う印象はありました。
ても空いているなぁと言う印象がありました。
ただ、梅雨時などは窓も開けられなかったので、冷房装置の存在は本当にありがたかったです。
結局、南海電車対策を兼ねての登場かと思われますが、結局利用者は伸びず、昭和52年には熊取・和泉砂川が停車駅に追加され、45分運転は不可能となり、49分まで後退してしまい、従前の快速と5分程度しか変わらなくなりました。
更に昭和48年の関西線(湊町~奈良)の電化開業以降は春日塗の113系も新快速運用に入るときがあり、一度だけ梅雨時の雨の日写真撮影に行ったら、113系春日塗が新快速運用に入っていて、ちょっと乗っている人は蒸し暑かろうと同情したものでした。
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珍しいところでは、他にもこんな事例がありました。
それは、103系による新快速代走でした、昭和49年(1974年6月号の読者投稿で、3月22日阪和線で架線事故があり、車両のやりくりが付かなかったとのことで、103系による代走が走ったそうです。
この話は、意外と知らない人が多いのではないでしょうか?
ここにご披露させていただきます。
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画像はイメージです。

下記の記事は、実際に鉄道ピクトリアルに掲載された記事
1974年6月号から引用
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最近急速に223系と225系が増殖?している阪和線ですが。
今から40年ほど前には、阪和線には京阪神緩行の中古電車が集結していた時期がありました。
元々阪和線は、阪和鉄道と言う私鉄でしたが山側を走っていたため業績は低迷、最後は社長の自殺と言う形で幕を引き、南海電鉄山手線となったものもつかの間、戦争激化により軍部の要請で南海電鉄山手線は国鉄阪和線となりました。
そんな経緯もあって、阪和線は外様大名のようなものだから国鉄としては冷遇しているのだろうという意見がまことしやかにあったのですが、実は阪和線の車両は非常に優秀な車両であったため、阪和線では重宝されていました。
モタ300形・モヨ100形に代表されるこれら車両は国鉄編入後は、機器類を国鉄形に変更したのです。
実際にブレーキ装置などは阪和電鉄時代の方が優れていたので、国鉄形になってグレードダウンしたと言われたものでした。

更に、昭和30年代には、南海電鉄の11001系(昇圧後は1001系)に対抗するため、阪和線には70系電車が新製配置されており、全金属車の300番台は横須賀線以外では阪和線が唯一でした。
この70系電車は、昭和50年の旧型車一掃まで阪和線を走り続けました。

さらに、昭和40年頃には103系も新製配置される等決して阪和線は国鉄本社から冷遇されていたわけではないのです、しかし、阪和線に旧形電車がどうして集中してしまったかと言うと、それは阪和社型の一斉廃車が有ったのが一つの原因でした。
 丁度京浜東北線などで余剰となりつつあった73形などが大挙して押し寄せて阪和線に集まってしまったのです。
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最終日の阪和社形の運行 天王寺駅にて 天鉄局30年史アルバムから
 
当時は、首都圏に集中して新車を入れてその玉突きで旧型車を地方に転出させる手法が取られていましたからこれは阪和線だけが割を食ったということにはならないと言えそうです。

ただ、この頃は南海電鉄は和歌山と大阪間での輸送で圧倒的有利に立っており、新性能電車7001系やその改良型である7101 系を増備していたこともあり阪和線としてもただ指をくわえてみているだけの状態であったことも事実でした。
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南海本線が通る線路沿いは旧市街地に沿って走っているため、町が発展しているのに対し、阪和線は山間部を通っているため、鳳から向こうは殆ど玉ねぎ畑と言った風情で、実際東岸和田駅などでは玉ねぎ輸送のための側線が有りました。
実際、阪和線に夜乗ってみると、和泉府中を過ぎれば何も周りになくて闇の中を走るという表現がぴったりな感じでした。
あまりにも前置きが長くなりましたが 、そろそろ表題の快速表示板のお話をさせていただこうと思います。
当時の阪和線の列車種別は、特急・急行・快速・区間快速・普通で、特急と急行は紀勢本線直通の列車ですので、実際の阪和線のみの運転は、
快速・区間快速・普通となります。
そして、快速電車のうち、旧形国電で走る電車にはその行き先を表示させるのに、下記のような表示板を掲出していました。
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和歌山が、和可山と当て字なのはご愛敬ですが、この標識を電車の前に吊るして走っていました。

快速が、赤色表示で、区間快速は緑色となっていました。

快速の停車駅は、当時は堺市・鳳・和泉府中・泉砂砂川・紀伊中之島であり、区間快速は、堺市・鳳、鳳以南は各駅停車でした。
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余談ですが、区間快速は「直行」昭和43年頃まで直行と言う表示を使っていたようです。
阪和線直行表示板
イラストは、当時の写真を基に再現したイメージです。

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国鉄最後のダイヤ改正は何時だったか覚えていますか?
昭和61年(1986年)10月のダイヤ改正でした。
国鉄としては最後のダイヤ改正であり、JRとしても最初のダイヤと言うことになります。

国鉄改革の場合他の公社(電電公社や専売公社)と異なり、組織を分割してなおかつ、職員の振り分けも並行して行うという他の公社と異なる部分がありました。
詳細はまた別の機会に詳しく書かせていただきますが、会社を分割することになるので会社ごとの資産分が行うことになります。
例えば機関区の場合、当該機関区が貨物だけとか、旅客会社だけと完全に分離で来ている場合は問題ないのですが、そうでない場合は使用する面積などに応じてその案分割合を決めるもしくは分離できない場合は共用スペースとして面積等に応じて費用分担額を決めるなんてことも行い、各会社の資産を決める必要がありました。 

他にも職員の人選と言うことで、下記のような資料に基づき調書が作られて最終的に新会社が採用者を決めるなどのことも行われたそうです。 
 http://jnrera.webcrow.jp/potal_shiryou/kaikaku/kanrichousho.html
 
さて、そろそろ本題に入ろうと思います。
どこを引っ張っても良いので適当に開いてみたページからアップさせていただこうと思います。
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 昭和61年函館本線 長万部~札幌~旭川間の時刻表
昭和62年4月1日以降も、国鉄のダイヤをそのまま踏襲する形で新生JRは走り続けることとなり、一足早くJRに対応したダイヤ?もしくはJRのダイヤ自体は翌年の青函トンネル開通並びに、備讃瀬戸大橋開通までお預けになたっと言うべきでしょうか。
いずれにしても、昭和63年には日本列島一本列島のキャッチフレーズで大幅なダイヤ改正が行われたのはご存じのとおりです。

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