昭和45年3月改正の時刻表
昭和45年、平成生まれの人では昭和の年号などと言われても正直困惑する人も多いと思いますが、1970年と言えば何となく判っていただけるでしょうか。
アジア初かつ日本で最初の国際博覧会(General category:一般博、現・登録博)であり、当時史上最大の規模を誇った。
実際に、
総入場者数:64,218,770人(うち外国人 約170万人)
目標入場者数:3,000万人(その後5,000万人に上方修正)
参加国数:77か国4国際機関
半年間だけ存在した駅が時刻表に・・・。
昭和45年の時刻表を見ますと、阪急の千里線には北千里の手前に、万国博西口駅が、北大阪急行では万国博中央口駅の文字を見ることができます。
阪急千里線に万博西口が、そして、万博中央口の駅名
そして、エキスポこだまは当初の臨時列車としては設定されていませんでした。
なお、昭和45年7月号の時刻表を取り寄せて言いますので、その時刻表であれば掲載されていると思われますので、改めてアップさせていただきます。
昭和45年、平成生まれの人では昭和の年号などと言われても正直困惑する人も多いと思いますが、1970年と言えば何となく判っていただけるでしょうか。
EXPO'70と言う名称で、大阪府吹田市の千里丘丘陵で、3月15日から9月13日までの183日間開催されました。
Wikipediaを参照しますと、 アジア初かつ日本で最初の国際博覧会(General category:一般博、現・登録博)であり、当時史上最大の規模を誇った。
と書かれています。
実際に、
総入場者数:64,218,770人(うち外国人 約170万人)
目標入場者数:3,000万人(その後5,000万人に上方修正)
参加国数:77か国4国際機関
ということで、その規模は大変なものであり、国鉄も旅客輸送に12系客車を増備したほか、新幹線を増発するなどの準備がなされました。
当時の記録などを参照しますと、万国博の入場者は、当初、出足は鈍かったそうですが、春先から来訪者が増えて、夏場には後述するように、エキスポこだまなる臨時列車を走らせることとなりました。
また、「ひかり号」は、全列車16両編成に統一されていました。半年間だけ存在した駅が時刻表に・・・。
昭和45年の時刻表を見ますと、阪急の千里線には北千里の手前に、万国博西口駅が、北大阪急行では万国博中央口駅の文字を見ることができます。
阪急千里線に万博西口が、そして、万博中央口の駅名
今は、中央口の駅があったであろう付近は完全に中国道の下になっていますので、廃線跡ですってアップしたら、廃線ファンに叱られますね。苦笑
阪急の方には、万国博西口の表示が
そして、エキスポこだまは当初の臨時列車としては設定されていませんでした。
そして、改めて昭和45年3月の時刻表【復刻版ですけれど】取り寄せて分かったことは、3月の時点では、エキスポこだまは設定されていなかったと言うこと。
エキスポこだまって何?
エキスポこだまは、静岡、6:47発のこだまの五分前に設定され、大阪を22:58に出発し、三島に6:53に到着する夜行列車に接続して、三島を7:05に出発して東京駅に8:10に到着するダイヤでした。
この列車が、3月の時点では設定されていないことが確認できました。
なお、昭和45年7月号の時刻表を取り寄せて言いますので、その時刻表であれば掲載されていると思われますので、改めてアップさせていただきます。
ということで、「エキスポこだま」は次回に
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