修学旅行用電車と言う専用電車が有った頃

修学旅行用電車(気動車)というものがかって存在すると言うと奇異に感じられる人も多いのではないでしょうか。
昭和を遡ること50年以上前、昭和34年、国鉄で「修学旅行専用電車」が製作されました。
この電車は、前年に登場した153系をベースに修学旅行向けにカスタマイズされた専用電車で、製造も国鉄の予算ではなく利用債というものを発行してそれを引き受けてもらうという方式で製作されました。
京阪神地区並びに東京の中学校PTAなどが利用債を引き受ける形で国鉄が車両を製造したと聞いています。

国鉄が利用債(特別鉄道債券)が発行され償還期間は10年でした、償還期間終了後はの昭和46年以降は新幹線の利用が一般的になってきたこともあり、修学旅行用電車の運用は終了しました。
それ以後は、湘南色になって153系と混用されて、主に臨時列車用として使われるようになったそうです。

修学旅行電車が出来る前は引率の先生は大変
さて、修学旅行電車が出来るまでは引率の先生は大変でした、というのも当時は寄せ集めの客車などが使われるのが一般的でした、更に若い人には想像もつかないかもしれませんが、ドアはいつでも自由に開閉と言うか、ドア自体開放されたままですので、途中駅で降りて行方不明になった・・・なんてこともあったとか無かったとか・・・どちらにしても先生としても目が離せないという点で大変であったと言われています。
一時期、80系電車で運転したところ、途中駅でもドアを開けなければ勝手に降りることはないので先生の負担が軽減したことも、修学旅行電車を作る気運になったと言われています。

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修学旅行電車を作ろう
修学旅行電車は、国鉄への要望と言うことと、利用債を東京都及び京阪神修学旅行委員会等が引き受けることで話がまとまり、国鉄は車両を製造することとなりました。
ただ、155系は修学旅行用と言うことで特化した部分と、引き受け金額を少しでも抑えるために153系と異なる点がいくつかりました。
外観上で異なる点は、
  • 前面のスカートを省略した
  • 台車を空気ばねから101系などと同じ電動車はDT21A・付随車はディスクブレーキ装備のTR62
  • 車体屋根の高さが全体に低くなり中央線の狭小トンネルでも乗り入れれ出来るようになった。
155_series_Izu_Shinagawa

それ以外にも修学旅行電車として、独特の装備も設けられていました。
  • ドアの幅が70㎝と特急列車並みとなった。
  • シートの配置が在来線では初めて、2+3の座席配置として、座席の上に網棚が来る構造とした。
  • シートの上に蛍光灯が来る構造とした。
  • シーとの間にテーブルが置ける構造になっていた。
  • 調光式を採用し、夜間は照明の照度を下げて安眠しやすくした。
  • 修学旅行生向けに大型の洗面台、男子用小便器、他にも飲料水タンクを2個設置し、水筒に水を補給できるようになっていました。
  • 運転室の助士席側にはテープレコーダを設置して放送で流せるような仕組みも配慮されていたそうです。
  • さらに、先頭車の一部の座席では簡易ベッドに出来るようになっており、体調不良等の場合は休養できるようになっていました。
さらに、先頭車だけですが、速度計の電力に余裕があったことから二つに回路を分岐して運転台用並びに、客室にもスピードメータを付けていたそうで、これは原設計にはなく、メーカーの発案で取り付けられたそうで、修学旅行を一生の思い出にという親心と言ったところでしょう。

修学旅行電車は新幹線へ
修学旅行電車は、10年の償還期間が終わる以前から、利用債を引き受けていない私立学校などでは新幹線を利用していました、そこで利用債の終了を機に昭和6年以降からは新幹線での利用が一般的となり現在に至っています。

余談ですが、私が中学校の修学旅行で関東方面に行った際は、行きは新幹線、帰りはストライキの影響で新幹線も動かず、結局観光バスで熱海から和歌山まで帰ってくると言うとんでもない事態になりました。
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