blackcatこと鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 国鉄夜話

国鉄時代の写真並びに時刻表などを中心にアップさせていただきます。 国鉄に関する資料等も順次アップさせていただきます。 取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、コメントにて お待ちしております。

日本国有鉄道の研究家として、「国鉄があった時代」というサイトを運営しております。
blackcatこと加藤好啓です。
鉄道に関する取材等はお気軽にお申し付けください。



国鉄最後のダイヤ改正は何時だったか覚えていますか?
昭和61年(1986年)10月のダイヤ改正でした。
国鉄としては最後のダイヤ改正であり、JRとしても最初のダイヤと言うことになります。

国鉄改革の場合他の公社(電電公社や専売公社)と異なり、組織を分割してなおかつ、職員の振り分けも並行して行うという他の公社と異なる部分がありました。
詳細はまた別の機会に詳しく書かせていただきますが、会社を分割することになるので会社ごとの資産分が行うことになります。
例えば機関区の場合、当該機関区が貨物だけとか、旅客会社だけと完全に分離で来ている場合は問題ないのですが、そうでない場合は使用する面積などに応じてその案分割合を決めるもしくは分離できない場合は共用スペースとして面積等に応じて費用分担額を決めるなんてことも行い、各会社の資産を決める必要がありました。 

他にも職員の人選と言うことで、下記のような資料に基づき調書が作られて最終的に新会社が採用者を決めるなどのことも行われたそうです。 
 http://jnrera.webcrow.jp/potal_shiryou/kaikaku/kanrichousho.html
 
さて、そろそろ本題に入ろうと思います。
どこを引っ張っても良いので適当に開いてみたページからアップさせていただこうと思います。
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 昭和61年函館本線 長万部~札幌~旭川間の時刻表
昭和62年4月1日以降も、国鉄のダイヤをそのまま踏襲する形で新生JRは走り続けることとなり、一足早くJRに対応したダイヤ?もしくはJRのダイヤ自体は翌年の青函トンネル開通並びに、備讃瀬戸大橋開通までお預けになたっと言うべきでしょうか。
いずれにしても、昭和63年には日本列島一本列島のキャッチフレーズで大幅なダイヤ改正が行われたのはご存じのとおりです。
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1987年3月31日 
京都の梅小路機関区では、静態保存機であるC51・C53を除く動態保存機が一斉に汽笛を鳴らして蛍の光を演奏するという行事が行われました。
当時はテレビで放映されたのですが。
有難いことに今ではyoutube等を通じてみることが出来ます。



30年と一口に言っても本当に長い年月です。
明日から、こちらのblog以外でも、国鉄に関するお話をさせていただく予定です。

こうご期待?

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国鉄時代の制帽
桐と動輪・・・国鉄の象徴でした。
現在この流れを残しているのは、JR東海だけですよね。
国鉄のDNAを最もよく残している会社と個人的に思っております。

先日京都の鉄道博物館に行ってきたのですが、たまたま2階で見つけたのがこちら。
ぽつんと置いて有るのですが・・・。
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これだけみて、これはと解る方いますか?




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