blackcatこと鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 国鉄夜話

国鉄時代の写真並びに時刻表などを中心にアップさせていただきます。 国鉄に関する資料等も順次アップさせていただきます。 取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、コメントにて お待ちしております。

日本国有鉄道の研究家として、「国鉄があった時代」というサイトを運営しております。
blackcatこと加藤好啓です。
鉄道に関する取材等はお気軽にお申し付けください。

3
皆様、おはようございます。
気が付くと1週間近くも空けてしまいました。
本日は、皆様を昭和50年3月の時刻表で時間旅行していただこうと思います。
昭和50年3月と言えば、皆さんもよくご存知のとおり山陽新幹線が博多まで開業した年です。
img266

img267

そこで今回は、博多開業時の新幹線の時刻表を中心にお話をさせていただこうと思います。
昭和50年3月10日、山陽新幹線は岡山から博多間が開業し東京~博多は1本で繋がることとなりました。
東京~博多間は最速で6時間56分で結ばれることとなりました。
新幹線開業前であれば、東京~大阪とほぼ同じ距離を新幹線では博多まで行けることとなったわけです。
ただ、やはり7時間と言うのは時間としては短くないので、本格的な供食設備も必要であろうということで本格的な食堂車が開発され、これが36形食堂車と呼ばれる食堂車でした。
1280px-Series0_36-84

0系36形食堂車

この食堂車、車体幅が在来線よりも広いことを活かして側通路方式として落ち着いて食事できるようにしたのですが、山側に通路を設けたため、富士山が見えないという問題が起こりました。
まぁ、食事しながら富士山と言うのもと思ったのですがそれなりの要望も多かったのでしょう、後に改造で食堂車内にも窓を設けることとなり、通路を隔てて山側の景色を見ることが出来るようになりました。

その後0系の後継として製作された100系では、ダブルデッカーとするとともに、通路並びに厨房を1階に設けることで山側の景色が見えないという問題と食堂車が通路代わりに使われるという問題を同時に解消しましたが、JR西日本はダブルデッカー4両連結の「グランドひかり」を製作しその存在感を見せつけました、特筆すべきは新幹線として弱め界磁を使って270km/h運転が出来るように準備されており実際に高速試験も行ったのですが、技術的には問題なかったようですが騒音問題がクリアできなかったようで、230km/h運転(0系は220km/h)が行われたにすぎませんでした。

その辺は、また別の機会にさせていただこうと思います。

img268
博多直通の「ひかり」は赤地に「ひかり」の通称あかひかりまたは「Wひかり」と呼ばれていました。
岡山以西が各駅停車になる「ひかり」は、青地に「ひかり」の通称あおひかりであり、大阪を境に輸送量が減るであろうということでこのような調整がなされていました。
まぁ、いまでも山陽新幹線の本数は、東海道新幹線と比べると少ないのですが、当時はもっと少なかったようですね。
img269
img270
img271
img273
img274

スキャナーから取り込んだものですので、多少の世見苦しさはご容赦願います。

みなさまこんばんは、本日は大阪駅を発着した夜行列車(特に山陽本線)を中心に見て行こうと思います。
昭和47年、新幹線は岡山まで延伸したとはいえ、大阪から発着する夜行列車は多く、彗星・あかつきが、夕刻から次々と西下して行ったものでした。
この当時は、関西ブルトレもヘッドマークを掲出しており、EF58が20系客車を引く姿はひときわ絵になったものでした。

2016-11-07_47

早速当時の時刻表を紐解いてみましょう。img260
ちょっと見えにくいのですが、17:22京都発の、急行雲仙2号 長崎行き(季節列車)から夜行列車の時間帯になり、定期列車としては、新大阪18:28発の「あかつき1号」から夜行タイムです。

この時刻表を見ていますと、18:28 新大阪始発の「あかつき1号」西鹿児島・長崎行き、さらに、その4分後の18:32には熊本行きの「あかつき」2号が運転されています。

特筆すべきは、「あかつき1号」は「はやぶさ」と車両を共用していたため、大阪発着の寝台特急では最後まで20系で残った列車で、夕方西下する20系「あかつき」は「あかつき」と書かれた淡い朱に浮かび上がる あかつき の文字が印象的でした。
次発の、「あかつき2号」は、14系客車による運転でした。

あかつき1号の8分後には同じく臨時列車で屋久島2号が運転されています。
実は、屋久島1号は15:05に大阪駅を出発する急行列車でした。

その後、あかつき2号の補完列車として雲仙3号が18:50新大阪を出発、
さらにその8分後には、寝台特急電車の明星1号が熊本まで運転されています。

19:32には、日豊本線方面に向かう彗星1号が都城行きとして運転しています。
img261

19:58には、再び熊本行きの明星2号が運転されています。
また、大阪始発ですが、日豊本線の宮崎行き列車として、「日南2号」
さらに、大阪駅 20:36には京都始発の「きりしま」寝台電車「西鹿児島」行きが運転されています。
更に、その30分後には再び「あかつき3号」が西鹿児島・佐世保行きが運転され、さらに30分後には同じく「あかつき4号」が熊本・長崎行きとして運転、更に30分後には、電車特急明星3号博多行きが・・・

ということで、関西始発の九州行き寝台特急は。「あかつき」「彗星」「明星」「きりしま」と4種類があり、客車列車で鹿児島本線経由は「あかつき」日豊本線経由は「彗星」さらに電車寝台は「明星」、何故か「きりしま」だけがこれまた単独で電車特急寝台として運転されていました。
img262

最後に、当時の主な列車の編成表を掲載させてもらいます。
img263


3
今晩は、本日は昭和47年の大阪駅に皆様をご案内したいと思います。
昭和47年3月15日、新幹線は岡山まで開業、



これにより山陽線内特急、「しおじ」と九州特急の一部、「日向」・「なは」・「みどり」・「かもめ」一部の九州急行が残りましたが、「つばめ」・「はと」は、岡山発着となり新幹線連絡列車となりました。また、急行山陽も岡山発着の列車として153系で運転されていました。
2016-11-07_53
153系による急行山陽

昭和47年の時刻表 大阪駅編
img255
下関行きの「特急しおじ1号」が出発、その後、特急「日向・なは」が出発していきます。
当時は併結相手の日向が非電化区間を走るため、なは、も架線下DCとして走っていたと記憶しております。
その後、昭和49年の延岡電化で日向も電車化されました。2016-11-07_54
岡山駅を出発する、特急なは

img256
「なは・日向」・「かもめ」・「みどり」と大阪駅から九州向けの特急が出発、他にも直通列車として
筑紫(つくし)が運転されており、ビュフエも営業していたようですね。

img257
昼間帯では、「しおじ」以外は、岡山発着の特急・急行が目立ちますね。
img259

img258

なお、16:00以降のダイヤは後日アップさせていただきます。


↑このページのトップヘ