blackcatこと鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 国鉄夜話

国鉄時代の写真並びに時刻表などを中心にアップさせていただきます。 国鉄に関する資料等も順次アップさせていただきます。 取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、コメントにて お待ちしております。

日本国有鉄道の研究家として、「国鉄があった時代」というサイトを運営しております。
blackcatこと加藤好啓です。
鉄道に関する取材等はお気軽にお申し付けください。


東京~金沢と言えば現在は北陸新幹線を利用すれば、二時間半ほどで金沢まで到達できます、今回のお話は、今から半世紀以上前のお話です。
東京発金沢行きの寝台列車がありました。
その列車名は、「急行能登」
新幹線開業前には夜行列車は、3往復設定されており、1往復は信越線経由の越前(福井行き)もう1往復は上越線経由、急行北陸(金沢行)、そしてしんがりが、東海道・北陸本線経由、急行能登(金沢行)でした。
下記時刻表は、新幹線開業前の昭和36年7月の時刻表です。
img233
能登は単独運転ではなく、那智・伊勢ということで3階建ての急行列車として運転されています。
当時の線路容量が逼迫していたことも原因かもしれませんが、能登は東海道区間は、単独運転は無かったようです。銀河が神戸まで運転となっていますが、三ノ宮が開発されるのは昭和30年代後半からであり、この当時はまだまだ神戸駅が神戸市の中心部でした。

さて、次の時刻表は、新幹線開業後の昭和41年10月の時刻表です。
img234
こちらでは、伊勢・那智が単独列車となり、能登は大和と連結される形となっています。
大和は、和歌山市迄直通の寝台車が一両あり、普通列車に連結されて和歌山市まで下っていました。
なお、能登は一時期単独運転を行っていますが、新幹線開業後は、東海道本線を走る夜行列車は減少していくこととなり、昭和42年10月の時刻表では走っていますが、昭和44年の時刻表では走っていませんのでヨンサントウの改正で廃止されたものだと思われます。
能登が北陸線経由で残った背景には、東海道線の輸送力を確保する目的が有ったといえそうです。
img236
昭和42年10月時刻表から
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr

本日は、昭和42年2月の時刻表から適当に開いたページを開いて、思うところを書かせていただこうと思います。
今回は高崎線をアップしてみました。
昭和42年の高崎線はどのような状況であったのでしょうか。
早速、時間ごとに見ていきたいと思います。
高崎線は大宮までは東北本線と共用していたこともあるのですが、それでも朝7時前後から優等列車が上野駅を出発していく様は圧巻です。
長野方面の急行第1志賀 6:57 その15分後の7:12には、急行第1佐渡更に11分後の7:23には、急行草津1号と出発していきます。
特に佐渡はビュフェも連結された豪華急行であり、現在の車販も食堂車も無い特急と比べればなんとも豪華な編成でした。
さらに、17分後の7:40には現在は四季島が出発する地平ホーム(四季島は13.5番ホームですが)から特急はくたかが出発します。「特急はくたか」は、以前は、大阪~上野を結んでいた白鳥の運転区間を短縮(上野~金沢間)にした列車で、当然のことながら当時の特急列車ですので全車指定・食堂車付でした、晩年の「はくたか」は上越線経由でしたが、白鳥時代と同じで、信越線を通るルーととなっています。
さらに、25分後の8:05には、181系による「特急第1とき」が高架の6番ホームから出発していきます。
更に25分後の8:30には急行第1妙高が直江津方面に向けて出発、更に30分後には9:03 第2佐渡が出発し、ここまで特急・急行を併せて新潟まで直通する列車は1時間ごとに出発していることになります。
その後も、7分後の9:10には急行奥利根2号、更に20分後の9:30には、特急第1あさまが出発となんとも豪華です。

img034

10時台に入ると優等列車の方が多くて普通列車を探す方が困難なほど優等列車が発車していきます。
さらっと眺めただけでもほぼ10分おきに・・・当時は現在のようにデジカメも無かったので、記録する撮り鉄も少なかったのですが、これだけの優等列車がこれほどひっきりなしに出発していたら壮観でしょうね。
さて、早速見ていきますと。
10:00 急行白山、10:10 急行鳥海、10:20奥利根3号、あかぎ1号、草津いでゆ等々・・・
ローカル列車が1時間に1本程度なのに対して優等列車の多いこと・・・。
高崎線だけで、これだけの通行量であり、これに大宮までの東北線の優等列車を加えるとこの頃でもかなり窮屈なダイヤだったのでは無いでしょうか。

img035

さらに、進めて18:00代になるとそろそろ夜行列車が動き出します。
19:30発の急行越前(信越線経由福井行き)を筆頭に、急行黒部(信越線経由金沢行き)、急行羽黒(上越線経由秋田行き)、急行北陸(上越線経由金沢行き)、急行越路 新潟行き、急行天の川(寝台専用列車、上越線経由)の他、新設線経由の急行丸池、や座席オンリーの越路(再掲)や急行「とがくし」高原2号など、安く移動するための手段も用意されていたと言うべきでしょう。
改めてじっくりと見ていただくと、私の見落としている部分などで面白いものが見つかるかもしれません。
どうかお楽しみくださいませ。


img036
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr

本日は、昭和42年2月の時刻表から適当に開いたページを開いて、思うところを書かせていただこうと思います。
今回は土讃本線をアップしてみました。
JR発足後、土讃本線→土讃線と名称を変更していますので、若い人には土讃線の方がわかりやすいかと思いますが、多度津駅から窪川までを結ぶ路線で、多くの列車は高松から直通しています。
さて、早速当時の時刻表を見てみますとimg024

最初に目に付くのが、1等車を連結した夜行列車が、高松を1:08に出発する夜行列車として運転されています。
終着駅は土佐佐賀と書かれており、7:56到着となっています。
土佐佐賀駅?と思って調べてみますと、現在は土佐くろしお鉄道線となっている中村線の途中駅でした。
昭和38年12月18日に部分開業しており、昭和42年当時は、この駅が中村線の終着駅でした。

なお、この1:08高松を出発する241列車は、大阪を18:30に出発する鷲羽7号を受けており、宇野22:00着、宇野発 22:10 高松23:25着の列車を受けて、出発することとなっており、宇野での出発をもう少し遅らせても何ら問題は無いと思うのですが、高松での待ち時間の方が乗船時間より長いという矛盾があるのですが、何か理由があったのでしょうか?
今後もう少し調べてみようと思います。

それ以外にも高松3:30と言う列車等もありましたが、こちらは大阪を20:57に出発する普通電車(快速電車)を受けていました。
列車は1:01に宇野到着、そこから宇野線ダッシュで1:09宇野発、2:19高松港着、そしてここでも約1:10分ほど高松駅で連絡待ちしてから出発しています。
なお、高松を5:17に出発する足摺1号は、大阪を23:00に出る鷲羽8号を受けています。

img026

宇野線の時刻表は下記のようになっています。
高松3:30の列車は、高松2:19着の連絡船を受けて出発する列車のようで、大阪を20:57始発の快速電車となっています、大阪を出ますと、三宮・神戸・明石・大久保・土山・加古川からは各駅に停車、宇野線内は、大元・妹尾・早島・茶屋町と停車した後宇野まで直通、8分の乗り換え時間と言う非常にリスキーな乗り換え時間です。
img025
1時01分、宇野着、1:09宇野発というかなり厳しい乗り換え時間
当時の宇野駅はもっと海よりでしたがそれでも、この乗り換え時間はかなり厳しかったのではないでしょうか。
その反面、四国に着いてからは待ち時間が1時間近くあるという矛盾です。


宇野では、桟橋までのマラソンが日常茶飯事だったと聞いたことがありますが、8分はちょっと厳しかったのでは無いでしょうか。特に大きな荷物を持っての移動はかなり酷だったような気がします。

しかし、実際に時刻表を見ていただくと判ると思いますが、普通列車の接続は7分とか8分という非常に短い連絡時間となっています。
なにゆえそのような時間になったのかは今後調べてみようと思います。

だらだらと書いても仕方が無いので、この辺で終わりにしたいと思いますが。
当時の時刻表を見ながら当時の世相などを考えていくと面白言うかもしれませんね。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr

↑このページのトップヘ