blackcatこと鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 国鉄夜話

国鉄時代の写真並びに時刻表などを中心にアップさせていただきます。 国鉄に関する資料等も順次アップさせていただきます。 取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、コメントにて お待ちしております。

日本国有鉄道の研究家として、「国鉄があった時代」というサイトを運営しております。
blackcatこと加藤好啓です。
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「からくに」という列車は、昭和37年2月15日のダイヤ改正で「火の山」と共に誕生した準急でした。
当時の時刻表を参照しますと、以下のようなダイヤとなっています。
出水を11:11と比較的遅い時間に出発して、宮崎に15:07着
出水行きは、宮崎を16:05に出発して、出水には20:12ですので、運転時間にすれば4時間程度ですが。
ここで疑問なのは、宮崎はわかるとして、何故出水発着なのか?ということですよね。
一般的な列車設定であれば西鹿児島もしくは当時であれば鹿児島発でも良かったはずですが・・・
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ということで、ネットでいろいろ探していると、水俣にあるチッソ工場と旭化成を結ぶ列車だったという記事を見つけたのですが、どうもそれが正解のようですね。
チッソ(現在は事業部門はJNC株式会社)と旭化成は少なからず深い関係があったそうなので、その区間を利用する人たちのためにというのもありかもしれないですね。
余談ですが、1両だけの和歌山市発東京行き急行大和(王寺から和歌山市間は普通列車)も住友金属の出張のために設定されていたなんて言う話もありますので、どこまで本当か否かという話にもなりますが、興味深い話ではあります。

この列車は、設定当初から気動車なのですが、どのような編成だったのか。
また、どのような車両が使われていたのか残念ながら調査不足でわからないのですが、昭和41年にはキハ45と呼ばれる気動車で置き換えられたとありますから、本格的な急行形と呼ばれる車両ではなかったと思うのですが、なかなか興味は尽きません。
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準急列車としては、1962年2月15日、1966年3月には、急行に格上げされ。
この不思議な列車は、1972年3月の改正で消滅するまで同区間を走っていたことになります。
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戦後の引揚げ列車の象徴駅 南風崎駅

大村線に南風崎駅という小駅がありますが、ここが戦後しばらくは、本国への帰還者を受け入れる駅として非常に重要な役割を果たしました。
ここからは、臨時列車を含めて3往復もの東京行き(1本は上野行き)列車が設定されていました。
終戦後、引揚げ事業に関しては、当初は各省庁がバラバラに行っていたので、それをGHQの指示により、一本化されたそうで、厚生省の外局として、引揚げ援護局が全国で18箇所設置されました。
戦前、海軍の病院があった、浦頭と言う港に帰還船は着岸し、ここで、検疫を受けた後、約5kmの道のりを歩いて、南風崎駅に向かったそうです。
キャプチャ

駅から出ていた列車は、3本
引揚げ列車時刻表

上記は、昭和22年6月号(復刻版)の時刻表から引用したものです、普通列車ではありますが夜間帯などでは当然のことながら通過する駅もあるのですが、各主要駅での停車時間が長いところもあり、大阪~東京間が14時間、大阪までで概ね24時間程かかっているのがごらんいただけるかと思います。
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名古屋~京都間を結んだもう一つの急行
昭和60年3月の改正で廃止になった、急行平安という列車をご存じだろうか?
名古屋~京都を関西線・草津線経由で結んだ列車で、この列車は誕生当初から、単独運転が行なわれたことはなく、常に他の列車と併結されて走る列車でした。
今回は、そんな急行平安のお話をさせていただこうと思います。

昭和37年4月ダイヤ改正で誕生
昭和37年4月15日のダイヤ改正で、関西線・草津線経由の気動車準急「平安」が2往復設定されます。
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桑名から15:45に平安2号とあるのは、数の運用図のとおり折り返し運用で入るためです。

4両編成のなのですが、この列車柘植までは、「急行かすが」との併結運転となり、柘植~京都間のみ単独運転となります。
ちなみに、運用イメージはこんな感じです。準急平安

名古屋まで戻らず、桑名で折り返すのは、名古屋まで行くと、もう一編成必要になるためでした。
桑名で20分ほどの折り返しで、再び西下、亀山駅で準急鳥羽・勝浦を併結して、京都に戻り、京都で鳥羽・勝浦を解放して、再び18:40には、京都を出発、柘植で再び「かすが」を連結して、名古屋まで戻り、名古屋には21:27に帰ってくる運用でした。

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当時の編成がちょっと判らないのですが、時刻表で見る限りは、平安にも一等車【グリーン車】が連結されているように見えます。
昭和43年10月改正で一往復減
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昭和42年10月時刻表から(平安の桑名折り返しがあるので二往復ある)
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昭和42年10月時刻表 桑名発の平安2号の表示が見える

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昭和43年10月改正で、平安は桑名折り返しが廃止され、1往復となる。同時に「かすが」も、湊町~奈良間が廃止され、名古屋発の「しらはま1号」が運転開始、京都発の「しらはま」と併結して白浜まで走ることに

その他、補足事項
昭和41年の改正では、100km以上の準急列車が急行に格上げされることとなり、急行「平安」となります。
昭和43年10月の改正では、「桑名行き」が廃止となり、「平安」は一往復となり、名古屋始発8:05 「平安・かすが1号・しらはま1号」の3両編成で運転、奈良から、京都発の「しらはま1号」を併結して、和歌山線を下っていく列車となりました。平安は10:42、京都到着後は、18:55まで優等列車の運用はありません。

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